蓮華寺

蓮華寺は中山道番場宿の中央部に位置しています。

蓮華寺は聖徳太子が建立し、当初は法隆寺と称していました。しかし、建治二年(1276)落雷により消失しましたが、弘安七年(1284)一向上人を迎えて時の権力者である土肥三郎元頼が再興し「八葉山蓮華寺」と称す。
当寺は歴代天皇の帰依厚く、花園天皇より勅願寺院としての勅許を賜り、寺紋として菊の門を下賜されています。
また、当寺は、時宗一向派大本山の一大念仏道場として隆盛を極めたが、後に浄土宗に帰属して現在は浄土宗本山となっています。
当寺には、北条仲時以下四百余名が自刃した歴史があり、今も、お墓を守っています。
そして戯曲「瞼の母」の長谷川伸氏が「南無帰命頂礼親を尋ぬる子には親を、子を尋ぬる親には子をめぐり合わせた給へ」と悲願を込めた番場忠太郎地蔵尊が建立されています。

なお、当寺院は現在檀家が12軒で維持されています。住職も月に一度の割合で来られる程度で、案内は檀家の方が行っておられます。
要連絡 0749-54-0980
住所  滋賀県米原市番場511

北条仲時自刃の地

北条仲時は鎌倉幕府最後の六波羅探題(北方)です。
1331年(元弘元年)の元弘の変で挙兵した後醍醐天皇を隠岐島に配流したことで有名です。しかし1333年(元弘三年)後醍醐天皇は隠岐島を脱出し、足利高氏が鎌倉幕府を裏切り六波羅探題を攻略しました。北条仲時は已む無く東国へ落ち延びようとしましたが、南朝軍に囲まれ、手兵432人と共に本堂前庭にて自刃しました。

瞼の母

長谷川伸原作の股旅物です。主人公は「番場の忠太郎」です。若い人は氷川きよしさんの歌でしか知らないと思います。
5歳のときに生き別れになった母を捜していた忠太郎は、兄と慕う弟分を堅気にするため、飯岡一家の子分を返り討ちにし、追われる身に。
ようやく母とめぐり合いますが、母は凶状持ちの旅烏である忠太郎を自分の子とは認めようとしない。忠太郎は、まだ見ぬ母が、不自由な暮らしをして無いだろうかと必死の思いでためた百両を手渡そうとするが、料亭の女将となっていた母親にはまもなく嫁ぐ娘がおり、縁談に支障をきたすと困るので追い返したのです。このとき娘が、兄とすれ違って、もしやと思い母に問いただし、母も、思い直し忠太郎を追いかけるが、忠太郎は物陰に隠れ、二人には会わずに再び旅に出かけるのです。

道標

道標

勅使門

勅使門

自刃の後

自刃の後

庭園

庭園

ご本尊

ご本尊

一向上人座像

一向上人座像

過去帳

過去帳

仲時公肖像

仲時公肖像

仲時公の鑓

仲時公の鑓

四百余名の墓

四百余名の墓

一向上人の廟

一向上人の廟

忠太郎地蔵尊

忠太郎地蔵尊

本堂

本堂

聖徳太子ゆかりの紅梅

聖徳太子ゆかりの紅梅